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「神のみぞ知るセカイ」はなんで面白いんだろう?と考えるためのヒント集2の前置き~「現実」と桂馬の関係~

☆小阪ちひろ編の総括にかえて
「神のみぞ知るセカイ」はなんで面白いんだろう?と考えるためのヒント集から7ヶ月。
「神のみ」の魅力=超絶技巧女子攻略によるカタルシス、なんて風にはくくれなくなってきました。

というのも、かのん編あたりから、2D(ゲーム世界)だけで生きてきた桂馬が、3D(現実世界)に翻弄されるという図式が見えはじめたから。

3Dvs桂馬の関係、それがはっきり見えたのがちひろ編でした。
現実でがんばってもいいことなどない、と現実から完全逃避しようとした桂馬の前に現れた女神、あゆみん。記憶は消えていても、現実との接点は消えていないことを示してくれた。オタメガ→桂木の変化はもちろん、掃除へ来るように桂馬を誘うときだって、攻略前は「代りに掃除やっておいて」だったのが「私とあんただから、忘れずにきてよ!」(最高の笑顔つき)になってる。はっきり言葉にはされてないけど、記憶は消えても、桂馬が歩美を助けたこと、歩美が桂馬を好きになったことは消えていない。
二次元世界でも、現実でも、桂馬が全力で取り組んだ経験は必ず糧になっている。桂馬が全力で取り組むなら、2次元も3次元も違いはない。自分への自信と、絶対的価値観があればなんでもできる。

それでも現実の理不尽さに惑わされ、ちひろに「現実女」というレッテルを貼って心を見ようともせず、ちひろを傷つけてしまう。本当は、2人は良く似ている。

「2D神」でも、「現実」から見ればただの「底辺ゴキブリ男」だと指摘された桂馬。
他の「現実」の女子と比べて、「いい加減な女」「平凡な女」だと指摘されたちひろ。

2人とも、現実という「海」の中で、自分を見失いかけた「船」だったのです。
だけど、現実から逃げ続けるちひろと違い、桂馬は既に現実という「海」に対する言葉を見つけていました。

「ボクは…確かに現実(リアル)に絶望してる。」
「だけど、自分には絶望していない!!」
「今がつまらないか…楽しいのか…平凡なのか…決めてるのは現実(リアル)じゃない。」
「決めるのはボクだ!!ボクが望めば不可能はない!!」

という、自分への自信と、絶対的価値観。
だからこそ、ちひろを救えるのは、一度は完膚なきまでにちひろに打ちのめされた自分だけ。

この2つを確信したからこそ、現実へのバリアが薄くなって「ちひろ」呼びと「いつでも救ってやる」という未来へ向かう言葉として出てきたのでしょう。

現実へのバリアってのは何か?それは「ゲーム理論で現実の女子を攻略する」という前提、そして「攻略した女子の記憶は消えてしまう」という虚しい事実。だからこそ、桂馬は攻略や告白の時に桂馬主導の過剰な演出を行ってきたし、呼び名は「キミ」限定だった。ギャルゲーの台詞をそのままトレースしてることを強調するように、女子の名前を呼ぶことはない。そして何より2人の未来の関係を指す言葉をかけることはなかった。(歩美にだって、「これからずっと」じゃなくて「明日」の応援を約束しただけなんです…涙)

だけど、かのん編あたりから攻略のなかで桂馬の「本心」が見えるようになってきてる。「キミ」と言いかけて、目を逸らしつつ「お前」の歌よかったぞって言い換えた部分では、桂馬の本心が率直に出ているように思える。逆に歩美や美生の時は、桂馬が仕掛けたゲーム理論による演出が効いて女の子が桂馬に恋をするという1本道の展開で、桂馬の本心は見えくい。

でもFLAG32は「ちひろ」と名前をはっきり呼んでる!そして「いつでも救ってやる」と、未来を約束してる!この変化は重要。2次元>3次元だけど、そこでもがいている女の子は神が必ず救うという桂馬のあらたな決意。例えクソゲーでも、登場する女の子には全力で向かい合うのが桂馬の魅力。それは現実というクソゲーでも同じなのでしょう。

現実へのバリアが薄くなり、ただのゲームトレースじゃなく本音をちひろにぶつけている、とは言ってもテクニックとして「ゲーム理論」をうまく使ってるのは間違いない。むしろ本心もゲーム理論も自分自身の武器として一体化しているような感じ。桂馬は確実に成長しています。3Dでも「神」になるのかも…。

☆自分への自信と、絶対的価値観
以上が、私の中での「ちひろ編」総括です。
自分だけの絶対的価値観を見つけたい、そしてそれを他人に誇れるようになりたい。誰しもそんな思いにとらわれ、悶々と過ごす日々、それが青春期。みんな避けては通れない、「現実」との戦い、それを「女の子攻略」を通して描いているというのも、「神のみ」の魅力なんじゃないでしょうか。若木先生の言葉を借りると「純痛」ってヤツですね。

そうかんがえると、若木先生自身の価値観や、それを形成してきた経験が「神のみ」の世界観に与える影響はかなり大きい。実際、「自分が体験したことないことを描くことができない」(2008/12/8)とおっしゃっている。

そんなわけで、「神のみ」のおもしろさを考える上でヒントになりそうな若木先生の言葉をあつめた「神のみぞ知るセカイは何でおもしろいんだろう?と考えるためのヒント集2」を作りたいと思います。

アップは12/21中に!しばしお待ちを~
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