スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

神のみぞ知るセカイ:若木先生の5/7のブログを読んで考えたこと。

☆作品を描くということ、歴史をつむいでいくということ
若木先生の5/7:サンデーだけど友情パワー。を読んで、いろいろ思うことがあったので、書いておきます。追っかけブログ的には、畑先生と若木先生の仲良しっぷりにニヤニヤ、久米田先生の反応に期待…くらいでいいのかもしれないんですけどね。やっぱり小学館の漫画、そして少年サンデーで育ってきたという自覚があるんで、漫画雑誌が持つ魅力について、言葉にしておきたいんです。

☆前置き
雷句先生の小学館問題以降、編集者や漫画家の話題が後を絶ちません。
今日もZAKZAKでこんな記事がでてました。
人気漫画家&編集者“暴走”…笑えない漫画業界の荒廃
この記事の中で、若木先生が1年以上前(神のみの連載が始まる前ですね)に書いて話題になったサンデーの打ち切り作家「銀行の残高が1万円を切った」 の記述が引用されてますけど、若木先生は新人漫画家としての愚痴をいってるだけじゃなくて、漫画家と編集、そして読者も含めた「漫画雑誌」のこれからを考えているわけで。どうして「サンデーを盛り上げよう」としてる部分をピックアップしてくれないかなぁ…と思ってしまいました笑。なんだか、全ての漫画家が編集部と対立してるみたいで、ヤじゃないですか。

☆歴史と文化と漫画と
>今でも、マンガは自律的アートの世界になってきてる。アートになると文化としては一段落ちてしまう。
という若木先生の言葉から、文化ってなんなんだろうとしばらく考えてました。

現在の、漫画やアニメといった、いわゆるオタクの世界って、自給自足的なんですよね。大塚英志っぽくいうと、作り手と受け手という関係が無くなって、受け手の中だけで作品が生み出されていく、という感じでしょうか。出版社を通さない漫画同人誌で随分稼ぐ人もいるし、アニメだと新海誠、ゲームだとタイプムーンとかひぐらしとか東方とか。公的な資本を通さなくても、「同人」で創作者が自立できる状態になってるんですよね。(新海さんや型月はすぐに公的な場所に行きましたけど、それはおいといて。)

お金が絡まなかったら自給自足はもっと簡単で、ニコニコ動画とかブログとかpixivとか、誰でも気軽に作品を発表できる場が整ってる。その環境にぬるく参加するのは楽しいし、これからの正しいあり方だとおもうんだけど。そこでは「その場その時、自分の都合に合わせて楽しむ」のが基本な気がします。一時の流行モノが繰り返し繰り返し消費されて、飽きたらまた新しい流行モノがくる。過去に何があったか、と今何があるか、は全く別物。歴史を伴う文化とは、言えない気がします。
その「歴史」を探って正史を見出して、文化にすることは可能なのかもしれないけど。
一時期、ネットで個人がやってたりしてる批評が良い方向に働くのかなとも思ったこともあったけど、批評っていっても、基準となる価値観が「個人の好み」でしかなくて「歴史」じゃないから、なんだか「文化」としては不毛な感じがしてます。

文化っていうのは、過去の歴史を積み重ねることで出来ていて、それが未来へ受け継がれていくもの、なんだと思うんですよね。過去の作品を踏まえて、新しい作品を作る。そしてまた新しい歴史を作っていく。で、歴史がパブリックに公開されて共有されてこそ文化になるんじゃないかな、と。

☆漫画と文化
今のネットを中心としたライトさも楽しいのだけど。私自身、ずっと「小学館の漫画」にこだわって広い年代の漫画を読んでいて、サンデーの過去の連載作も漁っていて、おまけに作品、作者の歴史を掘り下げるという作業に熱中していて笑。歴史が背景にある文化を感じていたい、といのがあるんです。

サンデーという雑誌は、オタク寄りとは言われてますけど笑、十分パブリックとして機能してると思う。サンデーの歴史を可視化できる媒体は残念ながら少ないのだけど…私は「神のみ」という作品自体、サンデーの歴史があってこそ生まれた作品なんじゃないかと思うんですよね。まだまだ、連載が始まって1年ですから、まだはっきりとしたことは言えないんですけど、サンデー本誌で、神のみを読む、ということの意味について、いずれ書いてみたいと思ってます。私自身、もし神のみがガンガンで連載とかだったら読んでなかったと思うし、そういうことを含めて。

70~80年代サブカルチャーに憧れて、いろいろ文献を漁って卒論にしようとしたことがあるんですけど、当時のサブカルチャーの「歴史」について書いた文献って本当にないんですよっ!!あったら欲しいよっ。行き当たるのは、70年代以降のサブカルチャーは文化として認められていていないっていう、大塚さんとか東さんとかの文章だけで笑。でも、サンデーって雑誌には「雑誌の色」がキチンとある。それはきっと積み重なった歴史のおかげで。神のみが、その歴史を継ぎ足していく一部になればいいなと思うばかりです。

5/9追記
若木先生の5/7の記事をうけて、wikipediaの若木民喜の項目にこんな記述が追加されていました。
wikipedia:若木民喜より。
>2009年5月7日の日記で、 サンデーの将来と、漫画雑誌の未来を憂いて、「今までだと雑誌というプレッシャーのおかげで成長できたはずの才能が中途半端なまま終わってしまう。特にエロパロ美少年美少女を描けないタイプの作家がマンガで食っていくことができなくなる。今でも、マンガは自律的アートの世界になってきてる。アートになると文化としては一段落ちてしまう。」と書き記し、漫画雑誌の意義と漫画界の未来について熱く語った[1]。また、この日記の内容から、ネット連載を主張する佐藤秀峰の動きを牽制し、雷句騒動も含めた漫画編集者批判の流れに逆らう格好となった。

若木先生の言葉が、漫画家vs編集者騒動をめぐる言説の中で、どんな影響をおよぼしたのかまだ把握していないんですけど…。漫画家側の援護射撃を引き受けていた読者はどんな反応をしたんだろう。ちょっとまとめて見たいなぁという気がするので、また後日別記事にするかもしれません。

5/10追記
【漫画】 サンデー作家「サンデーならばジャンプを抜くことも不可能ではない」(´A`)<咳をしてもゆとり
こんなスレッド立ってたんですね。まぁ、ν速の反応だから…
それでもサンデー好きな自分はちょっと傷つく笑。
関連記事

はじめまして

今日は。若木先生のブログからお邪魔致しました。

記事興味深く読ませて頂きました。丁寧な文ですね。

僕自身は趣味で作曲をやってはいますが、この国にいると文化としての音楽なんてモノをたまに考えてしまう時もあります。商品音楽は沢山ありますが。。

そんな点でもとても心に残る内容でした。読めて良かったです。

これからも若木先生を応援してあげて下さいね!

それでは失礼しました。
[ 2009/05/13 03:40 ] [ 編集 ]

なおやんさん、はじめまして~
畏れ多いお言葉、ありがとうございます…

自分が好きなものだからこそ、「文化」として後に残ればいいなぁ…なんてことはよく考えます。自分で創作をしようとしたこともあるんですけど、あまりむいてないみたいで笑。今みたいに、神のみの情報をまとめていく作業をしていれば、歴史をつないでいく手助けになるんじゃないかなぁと思いながら、ほとんど自己満足ですが笑、ブログを続けていこうと思ってます。

作曲できるって、いいですねー!私も過去、音楽劇のために数曲作ったことがあるんですけど、自分が作ったものを誰かが聞いてくれるっていうのは、すごい感動がありました。

それでは、丁寧なコメントありがとうございました!
[ 2009/05/13 20:32 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tukigamiteta.blog43.fc2.com/tb.php/518-b4d1f60b













上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。