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神のみぞ知るセカイ6巻感想~神が現実に巻き込まれ始める6巻~

☆ついに6巻!!
よみましたっ
ついに発売されましたね、6巻。これでついにアルバトロス越え。
そういうこともあってか、若木先生のあとがきの言葉を借りると「連載がつづいたからこそできる話」ばかりが収録されています。

☆「神」で居たくても、「現実」がそれを許さない
5巻の感想で、桂馬は「神」の立場で「人間」に説教するのではなく、純や月夜といった、理想に生きようとする「人間」と同じ立場に立って、「理想に生きること」について自問自答しているのではないか、ということを書きました。
(参考:神のみぞ知るセカイ5巻感想~桂馬と攻略キャラとのやりとりから見えてくる、桂馬の内面の変化~

そして、この自問自答は、4巻のちひろ編で一度「人間」としての悩みを経験したからこそ。
「やっぱり現実はクソゲーだ!」
「なのに…みんなこんな現実に四苦八苦してる。」
「ボクは…どうなんだろう…」
「そうだな…ボクは…」


こうやって自問自答しつつも、やはり桂馬は「落とし神」なのです。現実に向かい合わざるを得ない状況になっても、月夜のように、新しい理想を見つけることはできないのです。

しかし、6巻ではハクアとそのバディ雪枝さんの登場により、「駆け魂狩り」という現実について考えることになります。そして、雪枝さんから学んだ小さな出会いを重ねる、という方法で、「現実の女の子からみた桂馬のイメージ」をふくらまさせて、みなみを攻略。さらには攻略済みの女の子たちとの勉強会なんていう、いかにも「現実の高校生」にありそうなイベントまで発生。

桂馬は「落とし神」でいたくても、それを「現実」が許さない、そんな状況が6巻では発生しているようです。攻略済みの女の子との「終わり」を積み重ねて日常生活を送ること、そして地獄や駆け魂狩りという現実に巻き込まれながら、ちひろ編ラストに初めて出てきた疑問の答えを探していくのかもしれません。

☆表紙の変化が意味するものは…?
今までの幻想的な表紙と違って、今回は妙にシチュエーションが具体的な…halkaさん曰く乙女ゲーのスチルのような表紙になっていますね。私はこの表紙を見て、4巻から始まっている神→人間への視点の移行が表紙にも現れたのかなぁと思ってたのですが…
これまたhalkaさんからコメントで指摘していただいて気づいたのですが、神→人間というコンセプトだとすると、5巻の表紙はかなり重要な伏線になっているのかも知れません。
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PFPから落とし神がでてくる5巻、そして
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みなみにとっての「憧れの先輩」になっている6巻。
これはもしや、今までの表紙にもそれぞれ意味があるんじゃ…!?
と思っているので、表紙考察も改めて別記事で書きたいと思います。
(参考:神のみぞ知るセカイ:6巻の表紙はいつもとちょっと違った感じ。神としての桂馬と、人間としての桂馬と。

☆「終わり」の積み重ね。だけど「終わり」は決して消えない。
雪枝さんが小さな出会いを積み重ねて、駆け魂を攻略しているというエピソードをやった後、みなみ編でまさにその方法で攻略。桂馬はただ淡々と攻略を続けているわけでなく、まさに「終わり」を積み重ねているわけです。そして女の子はみんな「終わり」を忘れてしまうから、その「終わり」を独りで引き受けている。

でも、みなみ編で桂馬が言ったとおり、「終わっても、残ってる」んですよね。
これは、ちひろ編でこてんぱんにやられた桂馬の目の前に歩美が現れた時に感じたことなんじゃないでしょうか。記憶は消えても、想いは消えない。

そしてダメ押しが、かのんの「いつかどこかで会いませんでしたか?」と、「キス」に反応しまくるちひろ、歩美、かのん。想いは消えない、はもちろんあったとしても、「記憶」も別の形に変換されて本人の中に残っているんじゃないだろうか…と思ってしまいます。例えば「夢」とかね。

桂馬が独りで「終わり」を引き受けているのだとしたら、それはやはり「神」の仕事なんでしょう。
しかし「終わり」を共有しているのであれば、それはやはり人間と人間の関係だと思うのです。

☆地獄の設定や駆け魂狩りについての設定もちらほらと。
ハクア&雪枝さん編、地獄帰省編が伏線となって、駆け魂狩りについて重要な設定が明かされる天理編が始まります。というわけで、6巻で出てきた地獄や駆け魂狩りについての情報を整理したいと思います。
まずは、駆け魂を出すには「邪魔な人間を消す」というやり方をしてる悪魔もいるということ。これはそのまま天理、ノーラの話につながりますね。

そして、「恋愛」が駆け魂を出す唯一の方法ではないにも関わらず、桂馬に「恋愛」という方法しか提示しなかった理由はなぜか?
これには答えが出されていませんが、雪枝さんとハクアの関係から「バディーは男でも女でも可。しかも駆け魂隊の悪魔がバディを選ぶ訳ではない」という設定も確定します。
また、FLAG1の描写を見ると、バディを選ぶのは駆け魂隊の上司、つまり室長が選んでいるようです。
桂馬に対して「恋愛」という方法が提示されたのも、FLAG1を見ると「ゲームの落とし神」と「現実の落とし神」を間違えたから…となっていますが、FLAG1時点の設定はあくまで「仮の設定」なようで、後から覆ることも十分考えられます。
実際、
「駆け魂は地獄から抜け出した悪人の魂」
「死んでも悪人は悪人」
「奴らは再び地表で悪事を働くべく」

といっていたエルシィの説明は間違いで、駆け魂は悪人の魂ではなく、封印された古い悪魔の魂でした。ということは、落とし神間違いも、ホントは違うんじゃ…・と勘ぐってしまう私です。
ドクロウ室長が会議にあまり出席しないのも怪しいし…室長=美少女説とか、天界人説とかでてくるのもうなずける状況。

最後に、駆け魂大量脱出の謎。これについては天理編以降に持ち越しとなっています。
エルシィがモデルになるはずだった駆け魂隊募集のポスターは、ハクアが変わりにモデルに。
そしてカバー裏は、駆け魂隊用のグッズの広告が!!こっちのモデルはエルシィなのです。
「さえなかった私が…」って、確かにこっちのほうがエルシィ適役なのかもしれない笑。


☆これだけは言わせて
もうね、連載の時もいったけど…
あゆみん可愛すぎる!!!
おまけページのあゆみんだけ数分間見つめてましたよ…
文化祭が楽しみすぎるっ!!!!
ギターに貼ってる二枚舌くまのステッカーもよろしいですなぁ。
二枚舌くまのキャラグッズとかでないかな、うろペンみたいに。

雪枝さん、おまけの4コマでもいいキャラしてます。雪枝さんのキャラ手抜きだろっていう人もいますが、雪枝さんは実はかなり計算されて作られたキャラなんじゃないかと…
「街中徘徊」という攻略方法はおばちゃんにぴったりだし、情報を聞き出す、という目的からも、聞かれてないことまでよくしゃべるおばちゃんは最適。さらに常にかっこよく活躍したいハクアの反発も描けるし。とっても良いキャラクターだと思います。

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[2009/10/20 13:35] URL 漫画日記











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